3月11日(金)午後2時46分。
テレビに眼をやった娘が叫ぶ。 「お母さん、地震が起こるそうよ」 一瞬後に大地震が来た。 「チー君、食卓テーブルの下にもぐりなさい」 私と娘はキッチンで、少し不安定な戸棚を手前から押さえる。 しかし、揺れはきわめて強く、長く終わりそうもない。 「危ないから、ここはどうなっても良いから、私たちもテーブルの下に潜り込みましょう」 恐ろしい時間だった。 何か物の落ちる音があちこちでする。 いつもの地震とは確かにどこかが違う。 まもなく家中の電気が消えてしまった。 揺れの合間に、娘が小さいCDラジカセをテーブルの上に置き、ラジオ放送をつけた。 三陸沖が震源地でM8.8(のちM9.0に修正)の大地震が起きたことを知る。 茨城は震度6である。 すぐに津波が押し寄せるようだ。ここは海から離れているので津波の心配はないが、まだまだ大きな余震は来るだろう。 キッチンを見にいくと、戸棚の中で丼が手前に倒れているのでソーッと下ろし床に置く。 玄関の下駄箱の上でも、一番大事な花瓶が転がっているので慌てて下ろし、安全な床に転がす。 大きな余震を繰り返す。家の中がだんだん冷えてきた。 3人でコートを着込んでまた堅牢なテーブルの下に入る。 揺れの合間に私はフト気になって家の外に出てみた。 すると、ご近所の皆さんは外の空き地にブルーシートを敷いて座っていたり、ウロウロ歩き回っている。 奥さんに早くに死なれて今一人暮らしのSさんが自転車で通りかかる。 「いやあ、俺んちの屋根の瓦はボロボロに落ちてしまったよ」 驚いて見にいくと、本当だった。 26年間、何もメンテナンスをしてこなかったらしいので仕方がない。 思わず、我が家の屋根を見たが、一見異常は無かった。 6年前に修理や塗装をしていたことを思い出す。 娘と孫を連れて、外に出た。 しかし、小雨も降ってきて寒い。 公民館へ行けば暖を取れると聞いて、我が家は行くことにする。近所の老婦人を誘ったが、台所で割れた食器が散乱しているので、片付けたいという。 すぐに食べられるようなブドウパンと水少々、懐中電灯をバックに放り込み、指示されていたので、娘が電気のブレーカーを下ろして家をでた。 それまでに夫との連絡が取れたが、たまたま東京で会議中だった彼は帰宅難民となり、浜松ホトニクスの東京支社で泊まるそうだ。 今夜、夫はいない。 同じく東京勤務の婿さんも自宅には帰れない。 不安だ。 自分がしっかりしなければならないと思う。 公民館の前ではドラム缶を利用してたき火をしていた。 建物の中ではポータブルの石油ストーブが燃えていた。 この建物も決して安全とは言えない。我が家より古い建物なのだ。 いざと言う時の為にいつでも外に脱出できるよう非常口の傍に席をとる。いつも卓球をやってるホールだから勝手がわかる。 ラジオ放送が鳴ってるが、人々のお喋りに消されて聞こえない。 暗くなってローソクが床に立てられた。 片隅の外国人の子どもたちが興味深そうに見ていた。 熱い紅茶が配られて一息できた。 夕食の時間なので、娘と孫にはパンとミカンを食べさせた。 息子から携帯に電話が入る。3人で公民館にいると告げると安心したようだ。 携帯は10回くらいかけると繋がるのだそうだ。 フト思いついて、私は1人家に帰る。北の方では断水になってるという情報を得たので、水をストックするためだ。 この判断は正しかった。その夜断水したから。 9時近くになると、学校から帰った子どもたちを連れた家族が増え始める。 例え、毛布一枚配られたとしてもここでは眠れそうもない。 娘も同じ考えだったようで、寒くてもいいから家の布団に入って寝たいと言う。 それで、我が家は帰路につく。 団地内に灯りが全くないせいか、夜空の星が実にきれいだった。北斗七星も見えた。 ロウソクを点して一階の和室に布団を三つ敷き、服を着たまま入る。 ローソクは危険なので、すぐに消してしまう。 ラジオで茨城放送を聞くと、朝までには電気がつく模様だ。 時折、強い余震がきて携帯電話がけたたましく警報を鳴らす。 思わず4歳のチー坊をみるが、彼は熟睡していて助かった。 部屋には洋服ダンス類があるが、金具で柱に固定してあるのでまず倒れないだろう。 断水と入れ違いのように午前3時頃、電気がついた。 ちょうど起きてきた娘に促されて携帯電話を充電する。 これで、朝ご飯が炊けると安心する。 朝までの僅かな時間まどろんだ。 #
by nyanko1942yy
| 2011-03-16 20:38
| エトセトラ
1月に予約していた夫の白内障の手術(両眼)が3月1日から4日間続いた。
初日は「つくバス」とタクシーを使って大学付属病院に行き私が付添人となる。 働いていた頃は車の運転をしていたが、今私はペーパードライバーだ。ある時自爆して新車ながら軽だった車は大破、私もむち打ちや背骨に細かい傷を負ったが、他の人物に被害を与えなかったのは幸いだった。 大学病院ではロシア人の老婦人が同じ眼の手術を受けていたり、生後まもないインド人の可愛い赤ちゃんも見た。 二日目は、帰り、嫁さんが彼女の高級車で病院まで迎えに来てくれた。 昼食を家で共に食し、2時までお喋りをする。 草薙の家にある、額縁と漆の食器、それにお煎茶をやっていた姑(はは)の鉄瓶、茶筅、竹のヒシャクなど欲しいと言ってくれた。とても嬉しい。 息子一家はまもなくR市に引っ越しする。長男が野球部の強い進学校であるR一高に入学するからだ。 つくばのマンションは既に売り払ってしまった。駅前の一等地なので、6年前に新築で買った値段より高く売れたそうだ。 通学するのはかなり大変(時間のロス)だが、息子が車で通勤する分にはたいした問題はない。 その為の決断であったようだ。 R市では庭付き一戸建て住宅を借りるそうだ。3年間だけの住まいだからそれで良いのである。孫娘は中学に進学なので丁度良かった。 その日(2日)の夕方、娘がチー坊(4歳7ヶ月)を連れて帰ってきた。 3日目、4日目のアッシー君と付添人を引き受けてくれると言う。私は大助かりだ。 ひな祭りの日、西風が強く吹く大変寒い日だったが、チー坊は近くの児童公園に出掛けて行った。 やはり子どもは風の子だ。 日頃ダンボールを敷いて滑り降りる大きな坂を歩いて登ると上の平らな部分に木の切り株があり、その上に細い小枝が幾つも乗っている。 乾燥していて、火をつければ今にも燃え出しそうだ。 私はフト、ある場面を連想した。 満洲から引き揚げる途中、引き揚げ団一行は奉天で一週間ほど待機させられた。その時、母は近くから小枝類を集めて七輪でコーリャン飯を炊いたそうだ。おかずは父や兄たちが遠い市場まで行って買ってきた。 遠い追憶に浸っていると、チー坊が「ねえねえグランマ、一緒にこの木を遠くに投げる競争しようよ」 「うん、しよう、しよう」 彼はこん身の力を込めて小枝を近くの草むらめがけて投げる。 私も手加減しながら彼に続いた。チー坊は自分が勝つと大喜びだ。たまにはグランマも勝たしてもらった。すると、彼はそのことも喜んでくれた。 小さい孫は本当に可愛い。 両眼の手術が無事おわり、夫の目は良く見えるようになったようだ。病院に支払った費用は11万円弱であったが、これで視力が蘇るのであれば安いものだ。 #
by nyanko1942yy
| 2011-03-05 20:48
| エトセトラ
それは茨城県常総市にある水海道風土博物館「坂野家住宅」です。
地元で「だいじん屋敷」とも呼ばれる坂野家は、当地に土着して500年ほどになるといわれます。 豪壮な主屋と表門、瀟洒な造りの月波楼(書院)、豪農の家の姿をとどめる蔵や小屋の数々、発掘・復元された庭園、折しも白梅・紅梅が3分咲きでした。 屋敷構えとともに、竹林や梅林・雑木林など、かつて人々の暮らしとともにあった里山の風景が体感できる『歴史空間』でした。 竹林の中の小道の前に撮影ロケに来ている映画会社の方たちが準備していました。「新撰組」の映画を撮るそうです。撮影は夜になるとかで、富山の薬売りの小道具などが置いてありました。 ここは、NHKの大河ドラマ「龍馬がゆく」や「仁」などの撮影もされたと主屋の中で解説されてました。 確かに電線などは全くありません。 晴れ渡った冬空のもと、江戸時代にタイムスリップしたような感激を味わいました。 (主屋 総茅葺き平屋建て) (竹林の中の小道) この日は最初に板東(ばんどう)市立「さしま郷土館ミューズ」で展示されていた「皆川末子 布絵の世界展」を見学しました。 日本の伝統的な着物地をふんだんに使った大きな布絵には全く圧倒されて声も出ませんでした。 世界各地で賞賛を浴びているそうです。 さもあらんと納得して、我が家にある着物も大事にしようと思ったのです。 #
by nyanko1942yy
| 2011-01-20 20:07
| エトセトラ
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by nyanko1942yy
| 2010-09-30 13:49
| 孫の写真
2月12日、待ちに待った日でした。
午後3時半、新宿東口スタジオアルタ前に集合。 それから1時間ほど新宿の散策です。 大学生の時に1度だけ訪問した歌声喫茶「ともしび」も今はなく灯ビルになってました。 個人では絶対に歩けないゴールデン街や元青線地帯も案内してもらいました。 花園神社の境内には紅梅、白梅が咲いていました。 仲間の一人が勤めておられた新宿区役所前には平和の灯が…。 寄席の新宿末廣亭の入り口に着流し姿のお兄さん。 ライブ会場「どん底」に着きました。1951年創業の新宿の老舗居酒屋です。 ジャズライブといっても難しくなく、若い3人が知ってる曲を演奏し歌って下さいました。 (この画像はナビの仲間が写したものです。) 2次会のカラオケも含め大いに歌って飲んで楽しんだオフ会でした。 ↑(^^_)ルン♪ #
by nyanko1942yy
| 2007-02-16 15:48
| エトセトラ
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